じゃず 生きてます
100% じゃずは地上からは消えたと思っていました。
天国に旅立ったかなと。
この月曜日に先日届いた栗の材を皮むき、樹皮の部分にカミキリムシが卵を産んで幼虫が穴を作っていくので
それを行なっていると近くで何か音がしました。
僕は時々、口癖、ではないですが仕事場でじゃずって呼ぶ時があります。まぁちょっとしたお遊びで。
するとその作業をしていたそばにじゃずが現れ、というか最初何が起こったのか、わからないというか
えっ??!!
じゃず?? 嘘っ!!
本当にすぐにはわかりませんでした。
まぁ勝手にですが死んだものと思っていたわけで
それに以前にも増した汚れていたこともあり
そのうち、じわ〜っとじゃずだとわかり、もう最高にうれしかったです。
ちょうど5ヶ月ぶりでした。この信州の厳しい冬を乗り切ったんですからね。
これらの写真はみんな遺影だったんですが
じゃず生きてます!!
木杓子
ここのところ久しぶりに杓子を作っていました。
作るきっかけは図書館で借りてきた本に載っていて
これに近い写真で土鍋のそばに裏返してほぼ全体が写っていました。
そのフォルムに魅せられました。
最初は栗で匙の大きさは9cmの物をしばらく作っていましたが
前回から2、3年前くらいでしょうか少し小さい7.5cm、材は朴で作っています。
ところで昔TVで姫田忠義の作った映像が放送されたことがありましたが
今ネットで調べても映像はなかなか出てきません。
一つ見つけました。
http://www.facebook.com/1589550734592252/videos/1650780715135920/
非常に面白いです。
ことに男たちが山で木を倒しお椀の原型を家に持ち帰り
あとは奥さんというのかおばちゃんたちがそれを足で挟み、さらに回しながら
はつっていく姿は見ているだけでちょっとビビります。
ここには杓子は出てきませんが僕は共通したものを感じます。
プリミティブだなと。
もともと電気、機械の類のない時代なのでもちろん重労働に違いはないのですが
それだけに理にかなった作り方だと思います。
生木を使い、割りながら削りながらと驚くほど素早く作られていくようです。
http://www.forest.ac.jp/academy-archives/ladle_making_workshop/
なのですが僕はそういう伝統的な作り方ではなく
乾燥材をバンドソーで木取りして鉋などで仕上げていきます。
こういったものは丹念にじっくり芸術家のように魂を込めながら(?)ではなく
まさにサクサクと作っていって初めてできる形だと思います。
あっ、でも奥会津の木地師たちの映像を見ると魂がこもっていますかね。
僕がたまに作るのではとてもその領域に達せませんが。
蕎麦は茹で方で美味くなる!
BRAD MEHLDAU: THREE PIECES AFTER BACH
正月明けの初仕事は自宅でファーストスプーンを削っていました。
さてまたブラッド・メルドーの話題ですが先日、彼のオフィシャルサイトで見つけました。
スリーピーセス・アフターバッハ。
http://www.bradmehldau.com/#three-pieces-after-bach
『バッハに続く三つの作品』? とでも訳せばいいんでしょうか。
バッハの曲を演奏してそれを元にブラッド・メルドーのインプロビゼーションが展開されています。
2時間あまりインターミッションも飛ばさずに聴きました。
ある意味その場で同時に聴いた気分です。一回目は。
ひょっとすると次回の来日はこのプログラムでしょうか?
追記
調べているとAFTER の後にバッハ以外の作曲名もあったりします。
afterもあらためて調べてみると〜に倣って、因んで、〜風にというような意味があるので
こちらの意味が正しいのかもしれませんね。